時間は有限、別れは突然。

またまた久々な更新になってしまった。

 

書きたいことはたくさんあったんだけど、言語化する暇もなくここまできてしまったな。

けど今日は言語化しないとなにか消化できない気がしたので、久しぶりにPCと向き合っている。

 

 

11/4のライブにて自分が今一番好きなグループであるPayrin’sが2019/12/30で現体制活動終了・遠坂まどか/佐藤瑠佳の卒業が発表された。

「重大発表」とされていた時からなんとなく良い報告でないなと感じていたのと、メンバーと話をしているときにもそろそろなのかなって感じ取ってしまうことは正直あった。

それを察してからは何かソワソワした日々を過ごしていて11/4が近づくごとに目に見えない何かがまとわりついていた。

それでもライブ自体は楽しみだし推しメンやメンバーと話すのが楽しみで待ち遠しくもあった。

 

いつも通り楽しく格好良いライブを観てメンバー・運営と話して帰れれば良いなと思っていたけど、始まった瞬間から目に見えない不安感が増した気がした。

もちろんライブはとても良かった。ただ、自分でもよくわからないモヤモヤしたものがこみ上げていた。

そして、現体制終了・まどかとるかちゃんの卒業のMC。

予感が的中してしまった。

発表の瞬間、まわりの人たちも状況が呑み込めないように静寂に包まれていた。誰もいない公園に取り残されているような感覚。自分でも状況や感情が読み込めない。

それでもライブは続いていくし、MC後の「いつか口にした言葉は」でメンバーは泣いていたり涙を堪えている様子を見ていると、「あぁ、これは現実なんだ、いなくなってしまうのか」ということを徐々に実感し始めた。

 

いつだって出会いや別れは突然で、時間は有限、止まってくれないし戻ることもない。

っていうことをこれまでの人生で何度も何度も痛感しているのに全く慣れないもので、「別れ」というものは慣れることがない。

 

特に人生のどん底に落とされた中で地下アイドルに行き着き、Payrin'sと出会い、現場を通していろんな人と話すようになって今では学生自体の仲が良かった友達よりも会っている。

20代後半になって、新しく友達ができるなんて思ってもいなかったし共通の趣味を通して仲良くなるっていうのは普通に知り合うより何倍も仲良くなるスピードが速いと思う。

年齢も本名も職業も知らない中で仲良くなれるのって不思議な関係だね。

そんなことを知れたのもPayrin'sのおかげだし、その関係がとても楽しい。

Payrin'sの現場はとても推しへの愛に溢れていてオタクも優しい。

これは他の現場でもそうかもしれないけど、自分が行ってきた現場の中で断トツです。少なくとも仲良くしてくれているオタクは推しやグループへの愛が純粋に深い。

 

 

そして卒業してしまう遠坂まどか、佐藤瑠佳。

いつかは会えなくなってしまうと思っていたけどもまさかこんなに早く現実になってしまうのは正直とても辛いね。

くだらない話したり、なんでもないことで笑っている時間をこれからもずっと共有していたい、という我儘な感情。

自分自身の人生を幸せなものにするために過ごしてほしい、という気遣う気持ち。

いろんな感情や気持ちが半日経っても受け止めきれずにいる。

けれども、時間が待ってくれるわけでなく12/30までのカウントダウンは始まっている。

残りの時間どれだけ費やせるかわからないけど、1分1秒でも長く好きな人達との時間を過ごしたい。全ては無理かもしれないけど、自分の使える時間は費やしたい。

他の人たちに比べたら、推している時間は短いけどその分深めていきたい。

 

次ライブに行くまでには整理できてるといいな。

最後の瞬間まで笑って楽しんで過ごしていきたいな。

特にまどかとの思い出はたくさん残していきたいな。

 

なんか願望ばかりで欲深いな。笑

 

残り2か月。

最後までよろしくね、Payrin's、そしてぺいりんず㌠のオタク。

 

 

 

 

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感情が邪魔をするってどうにかならないかな

 

いつも時間があるときにはブログや文章を書こうと思っては、惰眠や無駄な時間を貪りくっては終わってしまっている気がする。

今日も久しぶりに一日自由に過ごせたから、文章を書こうと思ってパソコンと向かい合っている。

 

 

最近、自分のことについて客観的に知る機会がたまたまあり、「本当の自分」とは何か考える機会があった。

 

自分の領域で言うと「自己覚知」という言葉になる。

これは僕らの職種では当たり前に使われている言葉ではあるが、中々難しいなと思っている。

そもそも「自己覚知」とは、相手に対して偏見や思い込みなどの先入観を持って関わらないように自分自身の考えなどを理解することである。

 

自分のことを自分はどれくらい知っているのだろうか?

自分の中にあるこの感情はどういう思考からきているのか考える。

 

ありがたいことに、人から優しいと言われることがあるがそれが合っているのは自分でもよくわからない。

他人に興味がないから割とどうでもよいと思っているからってのものあるかもしれない。笑

他人というのは自分が好きな人達ではない人のこと。

他人に期待しないから、その結果が良くても悪くてもなんの感情もないから寛容に見えているだけな気もする。

もちろん気を使っているからてのもあるとは思う。

他人に対しては寛容でいないと自分のストレスで潰れてしまう気がするからね。

それが良いのか悪いのかはよくわからないが。笑

 

最近t担当した人たちに褒めてもらえることは多く、素直に受け取りたい自分と社交辞令だよという自分がいて困る。

他人に必要とされることが割と生き甲斐ではあるから、今の職業を選んだことは自然なことではあるが、同時に人の裏切りや黒い面も見てきているので半信半疑になってしまっているのは否めない。

  

最近いろんな人たちと出会うことが割とあり、それはそれで楽しいしその中で自分との距離感が程よく楽しい人たちもいるし、もっと仲良くなりたいとも思うことがある。

普段自分の生活で関わることがないような人たちと話すのは楽しいことである。

その中で関わりたくないなーって人がいたらそれはそれで勉強になる。←

まぁいつも関わっているような人たちとは仲良くなりたい性分です。

 

 

なにを書いてるのかわからなくなったのでそろそろ終わりにする。

極論、一緒に遊んだりしている人たちは楽しいし好きな人たちは好きってことです。

楽しい日々を過ごしていきたいなー。

 

日常の休み

久々に予定がない休日かつ平日休み。

 

いつもならば趣味の予定を入れてライブに行ったり出かけたりするのだけど、今日はなんだかゆっくりしたい気分であり何も予定を入れなかった。

こういう時が一人暮らしをしている中で一番至高かつ自分の好きな過ごし方ができるから、なんだか誰かに試されているような感覚がある。笑

 

目覚ましをかけず好きな時間に起きる。

部屋の大掃除をする。

溜まっていた洗濯物を一気に洗う。

水回りの掃除をする。

本棚の整理、読まない漫画を売りに出す。

日用品の買い物。

落ち着いたら昼寝。

 

やってみたことを見ると完全に主夫。一般的な社会人みたい(笑)

最近仕事の内容は落ち着いているのに他のことでバタバタしていたから、なんだか少し落ち着いて過ごせた気がする。

こんなにゆったりしたのはいつぶりだろう?これはこれで必要な時間。

 

最近は好きな人のライブをに見に行ったり自分のライブに向けて練習したりそれなりにプライベートを楽しんでいたつもりだけど、根が出不精だからこういう時間が一番好きだったりする。

おかげで好きな人に会えた時の嬉しさや少し期間が空いて観るライブはいつも嫌なことを忘れられて楽しい時間を過ごしているとも思う。推しが一番!笑

 

また明日からいつも通り仕事が始まる。

普通の三連休なんだけど何か違う印象があるから、世間から少し置いて行かれている気がしている。

不思議だね。いつも通り生きているのに。

 

特にこれと言って書きたいことがあったわけではないけども、少しは思考しようと思い書いてみた。

 

また明日からも頑張って生きていきましょう。きっと大丈夫。

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大人になるということ

気付けば学生を卒業して大学時代以上に社会人歴の方が長くなってしまった。

 

学生時代からの友人や同級生には恋人と同棲し始めたり、結婚して子どもがいるのも珍しくはなくなってきた。

職場ではもう新人なんていう言葉は言えなくなりなんならいろんな仕事を任され頼られることが増えてきた。中堅に足を突っ込み始めている。

30歳も目前に控えておりまだ若いと言われる20代の期限が見えてきている。なんと早いことか…

10代の頃に見たら20代後半は立派な「大人」であり家庭を持っている、もしくは恋人がいて仕事もそれなりにやっているイメージがあった。いざ自分がその年代になってみると、自分が抱いていたのとは違い、まだ「子ども」であることを痛感する。

 

「大人になる」ってことは何かを手にすれば何かを捨てなければいけないことであり、なにを残すのか取捨選択しながら生きている。

そんな中自分はなにを捨てるのか決めきれず全部持っていたいという我儘によって結局全て掌からこぼれ落ちていることがある。そこには何も残っていない、あるのは子どもである自分の我儘妥協と選択を繰り返しそれが状態化していく。

きっとそれが大人になるっていうことであり人生の責任なんだろう。

 

僕はまだ選択肢を選びきれずに今日も子どものままである。

 

(Tumblr過去記事引用)

空蝉の現身

この時期は昔から好きではない。

 

寒い冬から暖かい春になり毎年体調を崩すからではなく、出会いと別れが強制的に起こるから。

 

自分は変化することに躊躇いをもつ、躊躇する。

もちろん良い方向への変化であるならば喜んで受け入れるが、良くないであろう変化に関しては受け入れたくない。

きっとこれは誰もがそうだとは思う。

 

今まで積み上げてきた関係が強制的に変えられてしまいまた1から関係を構築する。

それが何度も何度も繰り返すことに嫌気がさしている。

たかだか20数年間の人生だが、この繰り返しは多くなんの意味があるのかわからなくなり、新しく関係を構築したくなくなる。

正しくは、"積み上げてきたものが一瞬で崩されてしまうから新しく関係を構築するのが億劫"という感覚なのだろう。

 

今年もそんな時期がきた。

新年度が近づき人事異動が発表され、愕然とした。入職する前からお世話になっていた上司が約20年目にして初の異動。

誰もが予想しない出来事だったから戸惑いというか実感がまるでない。本人もまったくない様子。

今の自分がいるのはこの人のおかげであり個人的に思い入れが強すぎて認めたくない一心があった。

最後のあいさつを聞いて課員でご飯食べいって別れた後にも実感はなかったけど、普段言われないような言葉を投げかけられたことを思い出すとなんだか胸が篤くなって帰宅してから泣いてしまった。

去年までは「また来週からもよろしくね」と話をしていたのに、その来週にはその人はいない。そこには知らない違う人がいる。

 

人との出会いや別れを繰り返す仕事をしているからある程度慣れたと思ってはいたけど、それは気の所為だったようだ。

上司からもらった言葉を胸に前向きに頑張っていこうとは思ってる。そうなろうとも思ってる。

でもやっぱり変化したくないという気持ちがどうしても勝ってしまう。

 

いくつになっても人との別れは寂しい。

だからこの季節は好きではない。

少し引きずるだろうが、少しずつ前を向いていければいいな。