シロノワールを頼むには少し勇気がいる

またもや久々の更新となってしまった。

最後の更新から半年以上経過し、定期的に更新するという目標は呆気なく砕け散り存在していたことすら本人が忘れていた。

そういうところがダメなんだぞ、自分よ。

 

 

世の中は去年に比べて良くなったかというとそういうわけでもなく、逆になにも変わっていないどころかむしろ悪化しているような気がしてならない。

新型コロナウィルス!と話題になっていたが、その新型が変異を続けているので新型の新型の新型コロナウィルスみたいなことになっていて、もうイタチごっこやん、と肩を落とすような状況である。

おかげで今年も自粛という名の引きこもり生活となっているが、さすがに2年目となるともうやることがないというかどの塩梅であれば許されるのか探るようになってきた。

最近は個人的に色々なことがあったため、自宅に引きこもっていても鬱々とすることがあるので、散歩がてら近所の喫茶店に出かけ読書に勤しんでいる。

◯メダ珈琲店には毎休日お世話になっております。

休みの度にそんなことをやっているからそろそろ店員さんにあだ名をつけられているような気もしている。できるだけ紳士的な振る舞いをしているので肯定的なあだ名がつくことを願う。

あと、可愛い店員さんがいるのもポイントが高い。危うくコーヒーと共にチェキをオーダーするとこであった。チェキ撮ってほしい(オタクするな)(店員さん目的ではない、決して!)

 

そんなこんなでゲームばかりやっていた去年のGWに比べるとだいぶ生産的なことをやっている気もする。

おかげで部屋の中に小説が溢れていて、もう本棚に入らないので平置きしているような環境である。ブック◯フ様様だ。

そんな中で読んだとあるエッセイ集がとても面白かった。

筆者が体験した何気ないことが書いているものだが、「そんなこと体験することある!?」みたいな奇想天外なことやぶっ飛んだことをやっていて少々刺激を受けた。

そのせいか、自分の過去を振り返りそんなエピソードあったか考えてみたが、そんなに面白いことはなく少し嘆き悲しんでしまった、、、カムバック俺の青春。

その中でなんとなく印象残っている記憶を掘り起こし残しておこうと思う。ただの記憶として(ここ重要)

 

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高校3年冬から春にかけてのある日。

入試も終わり志望校の合格発表を友達と見るはずが運悪くインフルエンザに罹ったため自宅で1人で見るというイベントを終え、残りの授業を消化し、少し長い春休みを満喫している中である時母親からこう言われた。

「大学入る前にアルバイトしてみたら?」

 

高校3年間は(一応)男子バレーボール部に所属しそれなりに活動していた。

おかげで超弱小(前提としてとある専門高校であったので男子生徒が絶対的に少ない)であり創部以来公式大会で1勝もしたことなかったが、自分たちの代で「1勝をする!」という目標を達成することができた。

それを言い訳としてアルバイトすることを避けてきたのである。別にしたくなかったわけではないが、なんとなく高校生で働いたら負けな気がしていた。

まぁやることないし大学生にもなるしお金を稼ぐことをしてみようと思いアルバイトをしてみることとした。

しかし、初めてのアルバイトであり大学も自宅からは距離があったのでとりあえず派遣や短期のアルバイトをしようと思い親に相談したところ、母親が当時やって行った派遣バイトの関係で短期アルバイトを募集しているものがあった。

それは「某パン工場でのライン作業」であった。

見出しには「軽作業!1日から歓迎!」みたいなものが書いてあった。

これならアルバイト初心者の俺でもできるんじゃないか!日給も悪くはないし!

そんなことを考えながらとりあえず申しこみをしてみることにした。

 

アルバイト先に連絡をしたらあれよあれよと面接の日程が決まり、人生初めての履歴書を書き始めた。

当然ながら高校生の履歴書なんてのは基本的な個人情報と学歴くらいしか書くことがない。

志望動機も「時間が余ってるし、親に働けと言われたから」みたいにニートで実家にパラサイトしているようなものしか浮かばなかったが、そこは一応文系(しかし国語が一番苦手)であったので適当な理由を考えた。

面接自体も特に難しいものはなく、当日何時までにここに来てくださいみたいな説明くらいで滞在時間は30分くらいだった。

とりあえず2日間だけ働いてみることとした。

 

アルバイト初日当日。

早起きをして電車やバスを乗り継ぎ、某パン工場着いた。

早速指定されたところに行くと人混みがあり、その先で今日はどこで働くのか振り分けがされていた。

列に並び自分の番になり、作業着を着たおじさんに働く場所の振り分けがされた。

「〇〇さんは、えーっと、和菓子のレーンへ行ってください。」

あれ、パンじゃないの?とか疑問を抱きつつ、言われたロッカーの場所へ行き作業着に着替える。

ロッカーにはたくさんの人がいて、こんなに働いてる人がいるのか!と衝撃だったこととロッカー列同士の間隔めっちゃ狭っ!!!ってことは覚えている。1人分の通路しかないから自分のロッカーまで行くのも一苦労であり着替える時も周りをめちゃくちゃ気にしながら着替えた。

あと隣で着替えていたおじさんのタンクトップがピンクであったことが記憶に刻まれている。

 

着替え終わった後は徹底的な消毒を受け、職員に先導され目的の和菓子レーンに到着した。

余談だがエアシャワーを初めて体験したのだが吹っ飛ぶかと思った。

同じレーンには自分と同じような年代から50代くらいまでと幅広い年齢層の人がいた。

色んな人たちがレーンに並んだりレーン越しに向き合ったりしているのはなんだかシュールであった。

そんなことを考えていたら始業のチャイムがなった。

ここからが、僕にとって大変な時間の始まりであった。

まず最初の作業は、ベルトコンベアーから流れてくる桜餅(本体)を桜の葉をおいてその上に乗せ畳むという作業であった。

文面だけをみると本当に軽作業だと思う。自分でもそう思う。

しかし、ベルトコンベアーの高さは腰くらいの位置であり、これを中腰キープしながら行うということが盲点であり軽作業ではなくなる理由となる。

最初は余裕余裕〜♪と作業をしていたのだが、15分くらい経ったところで腰の違和感を覚え始めた。

おかしい、一応3年運動部で身体を動かしていたのになんだこれは。腰が猛烈に痛い。スパイク練習中にボールを拾ってたら腰を撃ち抜かれた感覚。

腰を伸ばしたりするが、その間にも永遠にベルトコンベアーで桜餅が流れてくる。エンドレス桜餅。

正直膝立ちできればめちゃくちゃ作業は捗るだろうがそんなことは許されるわけがない、衛生的に。

ライン作業ってこんなにも大変な作業なのか…正直めちゃくちゃナメていた…軽作業ということと自分の体力を…

腰の痛みを適度にほぐしながらなんとか作業を継続し昼休みになった。

やっと中腰から解放され食堂にいくと同じような作業着を着た人たちでごった返していた。

貧乏学生であった自分は食堂でタダで食べれたこの工場で作っているパンをひたすら食べた。ありがとう、ラ◯チパック。

 

さて、午後も同じようなライン作業であった。しかし桜餅ではなく違う餅が流れてきた。

柏餅であったりよもぎ餅であったり、〇〇餅が永遠に流れてきた。たぶん一生分の餅を見たと思うし取り扱ったと思う。

そのおかげかしばらく餅は食べる気がしなくなった。

ひたすらそんな作業を午後5時半まで続けるんだが、いかんせん時間経過がゆっくりに感じる。

もう1時間くらい経ったでしょ⁉︎と思ったらまだ20分くらいしか経過していなくて自分の時間感覚が憎たらしくなった。

そして腰も徐々に終わりを迎えようとしている。同世代ならまだしも、自分よりも年上の人たちがなんで大丈夫なのか謎で仕方ない。

腰、痛いですよね⁉︎って話しかけて腰痛トークで仲良くなれるかな?とか考えたけど、人見知りなのでそんなことはできず、ただ淡々と黙々と作業を続けた。

ライン作業を永遠とできる人の腰はきっとなにか特別なもので出来ていると思った。もしくは特殊な訓練積んでいるか。

 

こうして人生初めてのアルバイトは終了した。

帰りのロッカーでアルバイトをやり遂げた達成感と少しの自己肯定感、そして腰の痛みを抱いたまま着替え退勤した。

帰りもピンクトップおじさん(ピンクのタンクトップを着たおじさん)がいたが、この人も1日働いたのかと思ったら少し敬意が払えた。

 

ちなみに2回目のアルバイトは、冷蔵室みたいなことでベルトコンベアーから流れてくる苺のヘタ取りを7時間した。

極寒かつ同じ作業繰り返しは精神がどうにかなってしまいそうだった、、、これ続けられる人はまじすごい、、、

 

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本当に記憶を思い出して書いただけでなんのオチもないのは許してほしい。

これを糧に単純作業は自分に向いてないと思い、大学入学後み全然違うアルバイトを始めた。

今では良い経験だったなと思う。またやりたいとは思わないが、、、