世間はコロナということが徐々に薄れつつあり、少しずつ2019年のような生活に戻ってきているここ最近。
ニュースでは内閣総理大臣がなんちゃらだったり、芸能人の訃報が立て続け、僕の周りの世界ではないなにか別の世界にいるような感覚になっている。
僕といえば少しずつ自粛を解禁しつつあるも、どこまで解禁していいか判断が難しく中途半端な生活を過ごしているような気もしている。
平日は相も変わらず自宅と職場の往復+近所に買い物、休日は少し出かけたりなんなりして自粛ピークであった頃よりも人にある機会が増えた。
やはり職場の人以外と会うのは気分転換になるし、糸が引っ張られた緊張状態が少し緩むような感覚になる。
要は、くだらない話をしたり好きなことができるのがとても嬉しい。この上なく嬉しい。
かと言って、どこまで解禁してよいのか…という最初のループに戻っていく。
だれかこのループから助けてくれ。できれば退職するという方法以外で。
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最近いろんな場面で、「言葉」が大切であることを改めて実感している。
ネット社会になってから、簡単に他人とコミュニケーションを取ることができるようになり、遠くにいる人ともリアルタイムで話ができるのはとても良いことだ。
その反面、知らない人や言葉を簡単に可視化できるようになったせいで、他人を傷つけるような言葉もよく見られるようになった。
最近も他人によるネットでも誹謗中傷で自殺者が出たというニュースもあった。
「言葉」というものはとても不思議で、その一言が他人を勇気づけたり逆に精神的に追い込んだりしてしまうことができる。薬でもあり、毒でもある。
ちょくちょく他人(自分以外の人とい意味)に対して攻撃的なものを見ると、なんとも言えない気持ちになることがある。
僕の仕事では、相手に掛ける言葉や感情にとても気をつけなければならない。
その言葉で少なくともその場での気持ちが大きく変わってしまう可能性あるから。
所謂「エンパワメント」と「セルフエスティーム」
仕事だけでなくプライベートでも出来るだけ気は使う。
こんな対面せずとも言葉を交わせる時代だからこそ、人に掛ける言葉は慎重に選ばなきゃならない。
というよりも相手の表情や感情かわからない無機質な文字だけでは推し量れないことが多く、だからこそその無機質さにどれだけ気持ちや感情を乗っけて相手に伝わるかが大事なんだと思う。
自分の言葉で少しでも相手が嬉しい気持ちや救われる(かなり大袈裟だかが)気持ちになってくれるのであれば、僕はそれが1番嬉しい。
少しでも自分が好きな人たちの気持ちにより添えれば。
そうしたらきっと今日より明日は良い日になる気がする。
そうすれば明日はみんな少し上を向いて歩いていける。
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最後に自分が好きな小説の好きな文章を載せておく。
"困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思った時、想像してみるといい。三時間後の君、涙が止まっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君は、顔を上げている。三日後の君、歩き出している。"
"とまらない涙はない。乾かない涙もない。顔は下ばかり向いているわけにもいかない。歩き出すために足があるんだよ。"
原田マハ著「本日は、お日柄もよく」