言葉に色があればいい

人間というのは、環境に左右される生き物である。

 

これは自分が常日頃から感じていることであり、悩んでいることでもある。

自分の職業上、様々な他人の人生について触れる機会が多い。

というよりも、その人にとっては大きな岐路に関わることが多い。その中でその人が過去にどんな生活をしてきたのか、どんな環境で過ごしてきたのか、相手を知ることから始まる。

例をあげると、その人の今後の人生をどのように生きていきたいのかを一緒に考える。ただ、その人の歩みたい人生が大多数の人からは反対されるようなこともある。なぜそのように考えているのかを知るために、その人の中にある根底を知るためにどのような生活をしてきたのか話を伺うことになる。

同じ人間がいないように、自分以外の人と同じ人生を送ってきた人はだれ一人としていない。例え結果が同じであって、そこに至るまでのプロセスは違っており、あくまで「似ている」ということはあるかもしれない。

人生自体、自分だけではなく周りの人や社会環境に依存して形成されていく。

自分の思考回路や人格は0歳から育っていた環境によって形成され今に至っている。

 

「君の感情は、君以外のだれのものでもない」

何で聞いたかは忘れたけど、昔に聞いたことがある言葉。

自分が抱いている感情は自分だけのものだし、それを「完全」に共有することはできない。自分の考えを100%理解してもらうことは超能力者でない限り、他人(親しさではなく自分以外の人)にはできない。

特に「苦しい」「悲しい」などのマイナスな感情においては顕著であると思う。

もし、そんな感情を抱いてしまった場合、他人に助けを求めたらどのようなことを期待するだろうか。

自分の場合は、話を「聴いてくれる」こと、「共感する」ことを期待することが多い。

なぜなら、上記のように感情の完全な共有をすることはできない。だからどんなに自分の話を聞いても100%を理解することはできない。それでもなお、話を聴くことで共有をしようとしてくれるという「気持ち」が嬉しいのだと思う。

自分のことをわかってくれようとしていることに救われる。

自分の抱いているもの(こと)の60%でもわかってくれるのであれば自分にとっては満足である。(自己満足)

それでも決断が自分でしなくてはいけない。他人から助言をもらったところで、それが正解でもないため、自分の人生において責任において決めなくてはならない。(そもそも悩みにおいて正解があることが少ない)

何が正解で何が不正解なのかなんてだれにもわからないし答えなんてないから、だれかのせいにするような人生を過ごしたくないね。

 

 

 

まぁ何が言いたのかっていうと、自分と同じ人生を歩んでいるひとなんていないし似ているように見えて全然違うこと。だから周りに左右されずに生きれば良いし、もし自分が独りでは耐えられないときに話を聴いてくれる人がいるのであれば、自分の人生において大切にしよう。ってこと(笑)

それが家族でも友人でも恋人でも。付き合いが浅くても深くても。

 

 

P.S

最近思考することを止めていたためか思考力や物事に関する感性が死んでいっているような気がする。支離滅裂になるが、何か感じたらアウトプットしていきたい。

(いつまで続くかな…。)